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10台のこんぴゅーたー


※以下の内容は、友人のYAN!タウンに分譲地を借りて執筆中だった10台のこんぴゅーたーである。ただ、諸般の事情でページの更新ができないため、一部を加筆修正してこちらで掲載することにした。ただし、記事内容は基本的に'98年当時のものである。現在とはかけ離れた内容が書いてあっても、決して気にしてはいけない(^_^;)。これをあなたが読んでいる現在、下記のPCで手元に残っているものは、恐らく1台も無いであろう。あなたの知っているマシンが…あるでしょうか。


 ここに紹介するコンピューター達は、私がこれまで所有してきた、あるいは使用してきたパソコンである。
 初めてパソコンを触ったのは1982年。中学2年のとき。担任の先生が持っていたNECのPC-8001(中古)であった。
 それから3年後、MSXを中心に私のパソコンライフがスタートした。

1.BASICを覚えろ!ナショナルMSX
2.テープメディア合体超格安パソコン!サンヨーMSX
3.脅威のFDD内蔵小遣い荒稼ぎマシン!SONY MSX2 F1XD
4.16Bit「ジャッカン・マシーン」!EPSON PC-286BOOK
5.学生実験の友。カシオのポケコン FX870P 
6.最期のMSX。叫ぶぜ!パナソニックA1GT
7.486の快感!EPSON PC-486GF
8.DOS/V全開!自作マシン Power玄133
9.ポケコン再来!?WindowsCE「カシオペア」
10.無理矢理2台目!生まれ変わったPower玄233

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1.ナショナルMSX(型番忘れた。恐らくCF-1300と思われる)

こんな感じだったけどあんまし憶えていない  1986年高校2年の冬。当時メモリ64kBのMSXが安くなったということで、弟がお年玉をはたいて購入。64キロバイトである。今のパソコンの1000分の1以下…
パソコンということで親も油断したらしいが、弟のほうは一緒に購入した「Burast Off!」としゃべるソフト「ボスコニアン」で目一杯遊ぶ羽目になった。しかあし。本体は買ったもののTVがない。ということで倉庫の奥から白黒TVを引っ張り出してきて接続。おかげで当時のゲームは白黒の印象しかない。

 んが、腐ってもパソコンである。プログラムを打ち込んでやればいくらでもソフトが遊べる。ということで買ってきたのが「プログラムポシェット」。当時としてはMSXのソフトがかなり(10本以上)載っていて、かなり充実した雑誌であった。私はこれでMSX-BASICを覚えた。
今時「プログラムを覚える」となると、結構な金をつぎ込んで開発ツールを購入して、これまた結構な金額をつぎ込んで参考本を購入したりして、結局「えーい、難しいからやめたー」等となりがちだが(え?お前だけだ?失礼しました。)、当時は雑誌のプログラムを打ち込む。ただ打ち込む。ひたすら打ち込む。バシバシ打ち込む。そして走らせる。と、無常なビープ音が響いて

Syntax error in 120

などと出るので
「このおおおぉぉぉぉぉ。パソコンのクセしてエラそうな英語のメッセージなんぞ出すんぢゃねぇっ。俺の打ち込んだリストの何処が悪いというのだ!説明してもらおうじゃないかあああああああああぁぁぁぁ、あ?一文字抜けてる…(^_^;)」

これは恐らく型違いだとは思うが、イメージとしてはこんな感じ  という調子なので、肝心のゲームプログラムをまともに走らせるまでに何度もプログラムを見なおす形になり、イヤでもプログラムを覚えてしまうのであった。
今考えても当時は…時間があったんだなぁと思う。確か受験生だったハズだが…
 当時はテープメディアで、しかも2400ボー。専用のカセットデッキを購入していたが、それでも速度はせいぜい4800ボー。

「ぴ〜じょじょじょじょ〜」

と、今のモデムよりはるかに遅い速度でプログラムを読み書きしていたのである。平和であった。いや、「てめぇばかやろぅナメんじゃねぇっ。とっととプログラム読みやがれぇ」状態である。但し、キーボードもロクに打てない当時の私にとっては入力の速度の方がはるかに遅かったのだが。


 なお、本体の写真はWebからあさってきたものだが、実機と同じモノかどうかは自信がない。こんな感じのMSXだったな、と思っていただければ幸いである。ちなみにこのMSX、弟が後述するFDD内蔵のMSX(A1F)を購入後、しばらくして友人に売っっぱらってしまったので、今となっては永遠に行方知れずである。



2.サンヨーテープデッキ付きMSX(恐らくPHC-33と思われる)

後輩も誰かにうっぱらったため永遠に行方不明。形状はもはや知る由も無し…  1987年。大学に入学すると同時に弟のMSXを触れなくなった私は、知る人ぞ知る「カホ無線」でサンヨーの型落ちMSXを購入。確か当時特価品で2万円か3万円ぐらいだっと思う。
 こいつの特徴はなんといってもカセットデッキ。何が便利って、記憶媒体が本体にビルトイン。プログラムを目的としていた私にとっては今のノートパソコンにMOが内臓されているぐらい便利だったのである。プログラム記録用ではあったけど、専用(データ用にイコライジングしてある)ものではなかったので、普通の音楽カセットテープも普通に聞けたりした。当然本体から停止/再生のコントロールも効くので、音楽をパソコンであやつっているような、サイバーな気分も味わえたのである。

  プログラムを覚え始めた私はこいつで作ったゲームを「プログラム・ポシェット」の生まれ変わりである「MSX・FAN」に投稿しまくった。これが意外と採用率が高く。採用の謝礼でちょっぴりリッチな気分にもなれたりしたものである。当時の代表作は第1回のプログラムコンテストで優勝した「BOSIP」(少し自慢)。今見るとずいぶんチャチなプログラムだが、ほんの数十行のBASICプログラムで十分遊べるゲームができる。今のパソコンでもなかなかない環境がMSXには(というか、当時のパソコンのBASICには)備わっていたのである。

 余談だが、こいつのキーボードのかな配列は今ではワープロでも殆ど見かけなくなった「あいうえお(50音)」配列。打ちやすそうでいて実はすんごく使いにくい。そんなとき、MSX2だと「SHIFT+カナロック」で、なんとローマ字入力ができてしまう!という事実を知って、

「うぉーさすがはMSX2だぜー256色同時表示だぜー欲しいぞ〜!」

などと叫びまくっていた。んが、MSX2を買うタイミングは意外と早く訪れたのである。


 なお、このMSXも私が大学を離れる前に、後輩に売っぱらってしまったため、やっぱり永遠に行方知れずである。


3.SONY MSX2「F1XD」

デザインばっちぐー(古)だったソニーのFDD内蔵マシン。キーボードもなかなか良かった  1987年秋。パナソニックやSONYがMSX2の新製品を次々に発表して、その中にFDD内臓のSONY「F1XD」があった。当時のFDD内臓のMSXとしては破格の5万円程度。プログラムの採用で少し懐具合が暖かくなっていた私はコイツに飛びついた。
 実はパナソニックも同等以上の機能のMSXは出していたが、なんといってもさすがはSONY。デザインがまるで違うのである。今のVAIOもそうだが、もうこのデザインにクラクラっときた私は某B電器に走りこんで


「こっこっこのMSX2下さい。え?何?置いてない?え、え、ええから早いとこ取り寄せてくださいついでに3.5インチフロッピーディスク3枚下さい」

などと口走ってしまっていたのである。ちなみに当時のフロッピー(2DDだから容量は720kB)は3枚で1500円もした。今なら悠に40枚は買える値段である。


 とにかくこいつはFDDが便利だった。今ならノートパソコンにDVD-RAMドライブの100連装マガジンが内蔵されているぐらい便利なのである。主に遊ぶBASICプログラムはせいぜい数10kB。720kBのFDDは無限とも言えるほど容量を持っていた。  とにかく使いやすいこのMSX2で、私はプログラムを作りまくり、MSX・FANと一部「のーみそこねこね」のコンパイルの「ディスクステーション」にも投稿して荒稼ぎ。ちょっとしたバイト代ぶんぐらいは稼いでいた。

 漢字ROMを持っていない等、機能的に少し見劣りするところもあったが、そこはホレ。「漢字ROMカートリッジ」とか、「FM音源カートリッジ」なんかをスロットにブスッと突き刺せばあっという間に最新マシンに早代わり。こいつでワープロを打つという、今考えると耐えがたいこともやっていたりした。

 他にもこのマシンに関する思い出を挙げたらキリが無いのでええかげんにするけど、とにかくF1XDは私の青春でもあった。Y氏と知り合えたのももしかしたらこのMSXがあったからかも知れない。
 このマシン、デザインもさることながら使いやすさも秀逸で、独特のへこんだカーソルキーも使いやすい。更にFDDの上に平らな部分があって、ここにFDを置くことができた。後にも先にもこんなことができるパソコンはコレだけであった。

 MSXとしてはもっとも長く使い込んで、後述するF1GTを購入するまで約4年間、コイツで遊んだのであった。
 ちなみに写真は外箱だが、今は倉庫にしまいこんでいるので、箱から出すのが面倒。面倒なの!。というわけで外箱でかんべんしてもらおう。この後しばらくしてSONYはMSXから手を引くが、当時からのSONYのデザインセンスの良さが判る一品だったといえるだろう。



4.EPSON PC-286 BOOK

脅威の5kgブックパソコン「ジャッカン・マシーン」バッテリーは既に死んでいる…  こいつは私が初めて、かつ唯一購入した16bitパソコンとなった。平成2年(1990年)、大学の4年となって研究室でレポートとかを書くことになると、ワープロを扱う機会がやたら増えてきた。卒論でコンピューターによるシミュレーションをやっていたこともあって、パソコン購入意欲は増大。

 当時はやり始めたのが東芝ダイナブックに続く98ノート。んが、2ドライブを持っていないというのはゲームに弱い。ということでターゲットになったのが発売直後のエプソンPC-286BOOK。ノートと呼ぶにはあまりにも分厚い筐体と3.5インチの2ドライブ。かの「カホ無線」で24万円弱で購入したが、翌日の生協のチラシには21万円で載っていた。その差3万円すんんんげーショック(涙)。

 購入後は大学とアパートの間をこいつを抱えて(5kg以上!)往復したもんだが、とにかくビジネス(ワープロとか通信とか)に関しては、それまで使っていたMSXとは比較にならないぐらい快適であった。その快適さを更に増大させるために7万円もするメモリーカード(4MB)とか3万円のモデムとかを買いつづけた。

 そして、ビジネスソフト関係以外にこいつが役に立ったのがフロッピーのコピーであった。当時の私のアパートにはMSX仲間がしょっちゅう出入りするような「たまり場」と化しつつあった。そこでよく行われたのがMSXの3.5インチフロッピーによるデータ交換だが、そのデータをコピーするときに2ドライブである286Bookはその能力を256%ぐらい発揮したのである。エプソンのマシンはFDDの音が大きいので有名だったが、特にこのマシンは大きく、FDDをコピーするときは「じゃっかんじゃっかん」とうるさい音をたてていた。その音からついた名前が

「ジャッカン・マシーン」

 仲間内ではFDのコピーを「じゃっかんする」とまで言っていたのである。
大学を卒業してもこのマシンは約1年に渡って現役を守り通し、ワープロに、表計算に、通信にと大活躍をした。
 活躍の場の一つに、BBSのオフ会に「ビンゴ・マシーン」として持っていくことがあった(5kgを持って飲み会に参加!)。今でもそのBBSのオフ会では、皆の不要品?を持ち寄ってビンゴゲームをすることが恒例になっているが、その数字を選ぶマシンとしてこの286BOOKを持っていっていたのである。N-88-DOS-BASICが動くマシンならどんなノートでも良かったのだが、とりあえず手元にあるコイツを利用。なかなか役には立ってくれた。んが、今となってはバッテリーが完全に死んでしまっているので、お役目終了状態である。

 タッチタイピング(ブラインドタッチ)を覚えたのもこのマシンであった。大学の研究室にあった「タイプマスター」という、出所不明のソフトで練習。それまでMSX等でキーの配列は一通り覚えていたこともあって、1ヶ月程で一通りはタッチタイピングができるようになった。しかも、今考えるとこのマシンのキーボードは非常に使いやすくできているのである。恐らくメカニカルと思われるキーストロークは「カシャカシャ」と安っぽい音を立てるが、適度に柔らかく、かなりストロークがあるため打感はすこぶる良い。キー配列も適度に圧縮してあるので打ち込みやすく、少なくとも今使っているDOS/Vのキーボードよりは数段使いやすいものであった。

 最近のノートパソコンはスペースの関係もあるが、DOS/Vになってしまっていることもあってやたらキーの数が多い。そのくせ比較的良く使うPGUPやHOMEキーがFnキーとの組み合わせでなくては押せないものが多い。そのくせ「PrtSc」とか「ScrollLock」「PauseBreak」などという、ごく一部の人を除いて押したことも無いようなキーが独立していたりすると「あー、こんなノートなんぞ使ってられるか〜。買ってやんないもんね〜」などと言ってしまうが、実は先立つものがないだけである。くそー。Windowsノートが欲しいよぉ(;_;)。



5.カシオのポケコン FX870P

値段の割にはあんまし使われなかったポケコン  ご覧の通りのポケコンである。写真に一緒に写っているのはMD。その大きさを比べて見てもらいたいが、実は後述する「カシオペア」の方が小さかったりする。
 学生時代、ポケコンは前々から欲しいなとは思っていたものの、実際に使用する頻度を考えるとなかなか手が出せなかった。しかし、大学3年になって学生実験が多くなると、複雑な計算が多くなってきて関数電卓では手間がかかりすぎるようになった。
「えーい、ちまちま計算するのはめんどーくさいいいいぃぃっ!ポケコンがあれば一撃なのにぃッ!」

 というわけで、ポケコンを買うことになった。当時の流行はシャープの大画面(といっても120×80ドットぐらい)。しかし、やたら大きいし、電池の持ちが悪いと聞いていたので結局買ったのはコイツ。4行表示でポケコンのくせに「Locate」命令が使えるのが気に入ってしまった。値段は忘れてしまったが、それほど安くはなかったと思う。

 社会人になってからはほとんど使わなくなった。特にWindowsパソコンがデスクに置かれてからは、複雑な計算は表計算でやるようになり、全然使わなくなってしまった。
 BASICとC言語のインタプリタが動くのだが、もっぱらBASICで使用。ゲームもつくったりした。とにかく単3電池4本で良く動く。5年振りぐらいに電源を入れたらまだそのまま動いたのはびっくりしてしまった。



6.最期のMSX パナソニック A1GT

これまた値段の割には使われる期間が短かった悲運のMSX
 MSXの規格は初代のMSX、そしてMSX2、その上位機種としてMSX2+が制定されたが、MSX2とMSX2+はあんまし違わなかったので、私はお気に入りのMSX2,F1XDを使いつづけた。んが、大学卒業間近にMSXturboR等という、今考えても冗談みたいな名前の規格ができあがった。基本的にはMSX2+の上位機種という位置付けだが、CPUがそれまでのZ80Aという安いゼ遅いゼという物と、R800という(当時としては)結構早い部類のZ80コンパチを積んでいるという2CPUマシンであり、訳もわからんうちに「PCM音源」を乗せてしまったホンマに訳のわからないようなマシンであった。

 で、コイツがまた10万円ちょい下ぐらいの値段だったりしたので、学生時代の私にはとても手がでなかったのだが、2代目のMSXturboR、パナソニックのA1GTが出る頃にはすっかり社会人と化し、何とか買える所まで来ていた。そして'91年の12月1日。広島ダイイチ電器(今のデオデオ)で行われた「MSXフェスティバル」でその「A1GT」をついに購入。税別89,800円也。今考えると高いおもちゃである。しかぁし。値段何ぞはどうでもいい。とにかくそれまでのMSX(私の場合はF1XD)よりは数段馬鹿っ速いマシンである。片っ端から自分が打ち込んだリストを表示させて


「おおおおおおおおおおおぉぉぉっ。リストが流れるのが見えんんんん。速いいいいいぃぃぃっっ!!」

等と訳のわからんことで感動しまくっていたりしたのであった。
 特にPCM音源は個人的には結構遊べるもので、手ごろなものを片っ端からPCMにして遊んで見た。更にこのA1GTには、数KBだけだが「SRAM」が内蔵されており、この中に自分のプログラムを一部置いておくことができて、さらにその中のバッチファイルを書きかえることで起動時に色んなことができた。ちなみに、私のA1GTは、未だに電源を入れると

「アムロ・行きまーす!!」

 と絶叫する(爆笑)。あと、ごく一部の人にはオオウケの

「玄さんっ、女王サマとお呼びいっっ!!」

セリフをラップで遊んだりもした。このテのことを今のWindowsマシンでやろうとすると結構面倒だったりするが、そこはホレ、BASICインタプリタの強みといおうか、理屈さえ少し知っていればBASICでいかようにでも応用ができた。この辺はさすがのMSXとでも言っておこう。


 このMSXturboRは、結局パナソニックブランドの2機種が発売されただけで、その後MSXの新機種が発表されることはなかった。当時の私は、ワープロ等は既に「EPSON PC-286BOOK」でしていたためにMSXは殆どプログラミングに使っていただけだが、仕事が忙しくなってきて次第に時間が無くなってくるとそれさえもやらなくなってきた。結婚してからはゲームさえ殆どやらないような状況で、大枚はたいて購入したturboRは今も押入れで眠っている

 ああ、我が青春のMSXよ。ホームパソコンという初期の目的さえ外れなければ今もどこかで頑張っていただろうに…。ファミコンと98(NECのPC-98シリーズね)の両方を追いかけて結局どちらにも追いつくことはできなかった…。今はただだまって手を合わせるのみ。合掌



4.486の快感。EPSON PC-486GF

改造しまくって4年間のお付き合いとなった486マシン  社会人になってサラリーマンになると、夏季賞与と冬季賞与、いわゆるボーナスというものがある。このボーナスがくせもので、もらってしまうと(特に独身時代は)「ふっふっふっ。一気に金持ちぢゃ。使わにゃ損ぢゃ。」という気持ちになってしまう。

 だからというわけでもないのだが、1991年7月。初めての32bitデスクトップマシンを購入してしまった。当時は本体で20万円弱。ディスプレイで10万円、100MBの内蔵HDDで10万円。合わせて40万円もしていたのである(性格にはDOS等のソフトを入れて40万1900円)。今なら超ハイエンドデスクトップか、なんでもござれハイエンドノートパソコンぐらい買えてしまう値段である。しかし、当時は486マシンがようやく一般的になり始めた時期であり、これぐらいでもまだ安い方だった。

 当時はまだ386マシンが主流だったが、少し無理をして486マシンにしたのはそれなりに訳があった。ちょうどこの頃からCPUのアップグレードができるようになってきたのと、少し速いマシンを買っておけば長々使えると思ったからである。実際、当時のBBSで私は、よせばいいのに

「このマシンを5年間は使う!」

と宣言してしまっている。ちなみに、その前のEPSON286BOOKは、このマシンを買うまでに2年程使っただけであった。年間10万円強。それを考えると40万円のマシンは最低4年ぐらいは持たせたいところである。


 とにかく、性能はIntel 486SX-16MHz。当時としてはバカっ速のマシンである(上位機種は25MHz〜50MHzというものもあったが…)。それまで使っていたのが286の12MHzであるからして、その差は歴然。しかも、14インチディスプレイの16色表示。FM音源内蔵である。音も色もなかったブックパソコンから移ればそこはもうバラ色の世界であった(16色だけど)。

 とにかく電源を入れて「おおおおおおおっっ!!メモリチェックがはええええっ!!」「しかも100MBものHDDでDOSの起動やらアプリケーションの起動やFEPの変換が死ぬほど快適っ!これはもう死ぬまで使えるハズっ!」と、やたら興奮したのを覚えている。
 しかし、時の流れは早いもの。2〜3年も経つと、次から次へと新製品が出て、シマイには「Pentium」などというとんでもないCPUまで出てくる始末。ついでにCD-ROMは標準的になるし、100MBで十分だと思っていたHDDは400や800MBが出てき始めた。ついでに私は結婚してしまっていた。関係ないが。

 「コレではイカン。ワシのマシンはまだまだ現役じゃが、流行のWindows(3.1)とやらが動かんではないか。」
 というわけでまずメモリを1.6MBから8MB増やして9.6MBに。そこでWindows3.1を導入。更にビデオカードやらサウンドカードを増設して、ついでにディスプレイも15インチマルチスキャンのものを購入。なんとか形にはなったが、まだHDDは100MBのまま。
 そこに救世主のように現れたのが義父。早くからDOS/Vマシンに染まっていた義父は

「おや、このマシンはHDDがSCSIぢゃないか。ぢゃあこのHDDが使えるな。」
「おや、この3.5インチFDDを一つとっぱらってこうして[ギコギコ]カバーを[ズゴズゴ]削ってやれば、ほーら。このCD-ROMが入るぢゃないか。」

 というわけで、最終的にはHDD320MB+540MB、2倍速CD-ROM、486DX64MHzマシンとなって現在に至っている(写真では見にくいが、CD-ROMが内蔵されている)。そして、これらの改造からDOS/Vに目覚めてしまった私は、DOS/Vの道を歩むことになる。PC-486GFを購入してから4年と3ヶ月が経とうとしていた…やっぱり年間10万円なのね。



4.DOS/V全開!自作マシン Power玄133

自作に目覚めたDOS/Vマシン。どんどん仕様変更がなされている  いくら486DX2-64MHzマシンであっても、所詮は486。メモリ9.6MB。しかもEPSONなのでWindows95が動かない環境では、次第にストレスがたまるというもの。実は、子供が生まれてから、パソコン上で日記を書き始めた。んが、これが1年分(だいたい300kBぐらい)となると、保存するのに数秒を要するようになってきたのである。たかだか数秒だが、エディターで打ち込んでいる文章の保存ごときに数秒も時間を取られていたのでははなはだ気分が悪い。

 そこへ、Windows95と、DOS/Vマシンの自作ブームがやってきた。PC-486GFで改造癖がついてしまった私は「もうこれは作るしかない。」と思った。思いこんだ。洗脳されてしまったかのようにカタログを読みあさった!。というわけで、1997年10月、ボーナスと無けなしの小遣いをはたいて通販でパーツを購入。組み立てたのがこのマシンである。かかった値段はおよそ17万円。ディスプレイは別である。

 詳細なスペックは別の機会に譲るとして、とりあえずCPUはPentiumの133MHz。
 結論。Pentiumはやっぱり速かった。懸案の日記の保存も瞬時。まぁこれはPentiumだけでなく、HDDやメモリの速度も大いに関係するところだが、とにかく速度的にも十分満足の行くものであった。

 んで、このマシンで何をしたかというと、実はたいしたことはしていない。通信したり、日記を書いたり、少しエッチな画像を見たり、という程度で、実はDOS時代とあまりかわっていなかったりするのだ(画像はWindosでないと無理があるが)。結局、このマシンは「Windows95を使いたい」というのと、「ハードをいじくり倒して遊びたい」という欲求を具現化したマシンとなったのだ。

 もっとも、Windows95になって、ソフトウェア的にも充実したことは確かである。周辺機器もWindows95になってから買い揃えたものがずいぶんとある。ざっと挙げてもスキャナ、カラープリンタ、スピーカー、モデム、ジョイパッド、etc。この辺の細かいことは書いているとキリがないのでまた改めて書く事にしよう。とにかく充実したこのマシンを約1年半ほど使いこなした(年間10万円の法則がここにもきっちり生きている)。んが、時代の流れは急速に加速していく。Pentium133MHzの寿命は思いのほか短かった。



9.ポケコン再来!?WindowsCEカシオペア

目覚ましマシンと化しているテキスト入力&住所録装置?  言わずと知れた?カシオペアである。コレを書いている'98年10月現在では、WindowsCE2.0マシンとしても出ているが、カラーでないということもあってどうも影が薄い。というか、WindowsCEマシンそのものが思ったより出ていないような気がする。

 まあそんなことはどうでもいいっ!。カシオペアである。本来ならばこんな中途半端なマシン?は買う予定はなかったのだが、'98年の正月。二人目の子供が生まれた。んで、最初の一月程はヨメさんの実家に足しげく通うことになった。が、そこで困ったのが日記関連である。ヨメさんの実家とかに夜遅くまでいて、家に帰ってくるのが遅くなるとさすがにパソコンに向かうことがおっくうになる。その反面、ヨメさんの家にいるときはえてして暇だったりするのだ。となると考えることは一つ。

手軽に持ち運びできてテキスト入力できるマシンが欲しい!」

「持ち運びできる」だけなら、例の「ジャッカン・マシーン」があるのだが、毎日ソレを持ってヨメさんの実家に上がりこむのはあまりにも無理がある。そこでターゲットになったのが安くて手軽な「WindowsCE」マシン。丁度正月のバーゲンセールのダイエーでカシオペアが4万円台だったのを覚えていたので、取るものもとりあえず、有り金はたいて購入。売値44800円(半額)であった。

 んが、こいつは初代カシオペア「A-51」内容はとにかく、実はむちゃくちゃ重い。重量はたったの400gなのだが、CPUが重すぎる。レジュームで立ちあがるのに7〜8秒、ポケットエクセルなんぞはマス一つ動くのに0.5秒ぐらいかかる。ソフトも初めはポケットワードを使っていたが、あまりの遅さと使いにくさに、「Pocket WZ EDITOR」(株式会社ビレッジセンター)を購入。CPUの重さは残るものの、かなり使いやすくはなった。

 キーボードがかなり小さいので「片手打ち」になることが多いのだが、とりあえず「持ち歩けるテキスト入力マシン」としての仕事はきっちりこなしてくれる。パソコンとの接続には、シリアル接続を使っていたが、最近ではコンパクトフラッシュ+カードメイト(メモレックス・テレックス)を使用。ぐんと快適になった。WindowsCE2.0以上が出ている現在では、かなり見劣りするマシンになってしまっているので、機会があれば乗り換えたいのだが…

 普段は目覚ましに使っている(コレが結構便利!)のでタンスの上に置きっぱなしになっているが、外に行くときは携帯電話、マグライト(何故?)、予備電池(Ni-HM)と一緒にラコックのウェストポーチに入れて使っている。少々デカイが、まさに「身につける」ことができるので結構便利である。ちょっとヒマができたときに、ウェストからさっとコンピューターを出してペシペシペシッと入力して、カパッと閉じてさっと歩き出す。うーんサイバーだ。なお、携帯電話は持っていても、ここ(某Y氏の土地)に間借りしているぐらいだから個人のインターネットアドレスを持っていなかったりする(^_^;)。(※これを執筆時点ではまだ個人でインターネットをしていなかった)したがって俗に言われているモバイルはやっていない。念のため。



10.無理矢理2台目!生まれ変わったPower玄233

2台目になるに当たって導入したパーツ類の箱、ハコ、はこ…あ、何故かソフトも…
 Power玄133を使用して1年半程が経って、Socket7環境もずいぶん変化してきた。ベースクロックは次第に100MHzに向かってどんどん進化していくし、CPUも200MHzを超え始めた。既にMMXPentiumはこのマザーボード(GIGABIYTE GA-586HX)では動かない

 というわけで、大改造計画となった。まずはマザーボード。そしてCPU、ビデオカード、サウンドカード、SCSIカードと、結局半年ほどでケースとHDD以外のパーツはほとんど入れ替わってしまった。写真は主に使用したパーツ類の箱である。実はマザーボードは2枚あるのだが、最初のマザー(AP58)はK6-233のクロックアップを試しているうちにご臨終になってしまったのである。合掌(^_^;)。

 しかし、少しずつパワーアップしていったせいか、過去にマシンを変えるたびに味わってきた

「うおおおおぉっぉぉぉっゲホゲホ(むせてる)!!!はえええええぇぇっ!!」

といった感動があまりない。せいぜいベンチマークプログラムを走らせてニヤリとするぐらいである(おいおい)。ただ、ビデオカード(PWR128P:カノープス)についていた「Moto Racer」だけは違った。3Dビデオカードですんごいレースものだが、Pentium133MHzではさすがに少々カクカク動くのだが、K6-233になるとぐりぐり動いてくれる。やっぱりPCの能力をフルに要求するのはゲームだ。


 ちなみに、余ったパーツは例によって2台目のマシンの材料となった。一通り揃ったところで、少々投資をしてケース、キーボード、FDD、メモリを買い揃えて組み上げ。ケースに収めたところで写真にでも撮っておけば良かったのだが、後悔後に立たず、あああふたーかーにばる。

 というわけで、組み上げたもう一台のコンピューター(ケースを1台と数えるなら、こいつが10台目ということになるが)は、3万5千円で知人に売却してしまった。手持ちのPower玄233は、しばらく付き合うことになるであろう。但し、問題なのは既に古くなってきたATケース。時代の流れはとっくの昔にATX。これまでのパワーアップで使ってきたのは10万円程度なので、年間10万円の法則に従うなら、1年後には再び生まれ変わることになろう。そのときATXになるかどうかは、財布の中身だけが知っている…。


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